2025年04月11日

利己主義

トランプ大統領は望ましい大統領ではないと、過去に数回ブログに掲載してきました。
自分だけで世界は出来ていませんし、権威主義の問題は世界大戦で実証されています。
人間は神様ではありませんし、欲望に抑制をかけることができる人は限られています。
人間の中には、自由を放棄しても自らが楽をしたいというパーソナリティがあります。
権威主義には、依存から欲望へと発展して行く危険性が、常に内包されているのです。
「半ばは自己の幸せを半ばは他人の幸せを」宗道臣先生の言葉は平和指向の言葉です。
橋下弁護士は、大統領の関税措置は、平等性の観点から理解できると説いていました。
しかしながら、数値的な面から説明できても、根底にある利己主義は説明不可能です。
自分だけの幸せを求める方向に舵を切ると、自分だけの不幸しか見えなくなるのです。
世界大戦を経て、お互いが抑制的に行動することの大切さを学んで来たはずなのです。
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2025年01月17日

明鏡止水

何事があろうとも
何事を経験しようとも
私はここにいる
意識の対象を眺める場所
囚われを眺める場所
この様な私など存在しない
この様な私は考えた私
考えなど一瞬にして変わる
釈尊は無常観を説いた
この様な私など存在しない
だから私はここにいたい
深き自己の場所
ここは鏡の場所
明鏡止水の場所
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2024年11月13日

私は修得した?

その時その様に感じても
今の私は変化の中にある
変わらぬ私は存在しない
だから今ここに戻るだけ
変化と共に存在するだけ
それこそが真実と言える
記憶と夢幻は酔いの対象
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2024年11月01日

大谷選手といえども

ニューヨーク・ヤンキースとの試合では、打ち気に逸り過ぎでした。
明らかなボール球を打ちに行っていました。
大谷選手といえども、そうなっていました。
勝海舟などが目指した「明鏡止水」から離れた所に心はありました。
私たちは直ぐに何かに囚われてしまいます。
心を鏡(絶対無)の状態にしておれません。
しかし大谷選手はいずれその境地に到達することになるのでしょう。
心身正定の大谷選手を観てみたいものです。
思想的二刀流の大谷選手を観たいものです。
これまでの学びから、それを期待することができると思えるのです。
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2024年09月22日

貴景勝関 ありがとうございました!

あなたは、その短い手と決して高くない身長のもとで、素晴らしい意志力で闘い続けられました。
他の力士が、この時とばかりに、その顔面に頭突きをくらわしてくる中で、本当によく頑張られたと思います。
いつも鼻血を流し唇を切りながら、決して弱音を吐かず頑張っておられたその雄姿は、多くの人々の脳裏に宿っていることでしょう。
お父さんは、早く引退してほしいと思われていたとのことですが、きっと安堵されたことでしょう。
色々な事情がある中で、よく頑張っていただきました。
ありがとうございました。
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2024年09月05日

自然の一部

「あれを見よ 深山(みやま)の桜 咲きにけり 真心つくせ 人知らずとも」

深山の桜は、土手に咲く桜に比べて、殆ど誰にも観賞されることなく、賞賛されることもなく潔く散っていきます。一方、土手に咲く桜も、多くの人に観賞され喜ばれる中でも、淡々と散りゆきます。これが、自然の在り方であり、私たちも自然の一部であって、自然の摂理からのがれることはできません。感情を持つ人間にとって、自然は決して楽ではありません。
深山の桜にはなりたくない、散りたくはないなどと、自然の在り方から逃れようとすればするほど、自ら苦しみを背負うことになるはずです。
高みに立った立場からの話の様に感じて、嫌気がさすかもしれませんが、敢えて紹介しておきます。
私たちが自然の一部であることは、どう見ても疑いようのない事実だと思えますから。

上記の内容で、行政区の調整会議時に、各役員に紹介させていただきました。
文頭の歌は、松原泰道老師が、若い頃旅行された時に気づかれた、碑に刻まれていた歌だそうです。
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2024年07月29日

即今

世の中は常に変化しています
だから真実は変化にあります
変化以外に真実はありません
過去や未来は私の思考下です
即今は思考を超えたものです
思考は記憶に基づく固着です
即今は思考を超えた経験です
今ここへの没入経験なのです
思考を超え経験されるのです

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2024年07月23日

無常の力

即今即今には何も無い
一秒前も今はもう無い
移ろう瞬間があるだけ
音や息が変化し続ける
唯それだけが妄想の外
唯々如何ともしがたい
私は今を制御できない
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2024年07月17日

真のリーダーか

又しても、あってはならないことが起きた。
その対応から、マスコミは強い人だと言う。
私には、どうしてもその様に理解できない。
ファイト、ファイトと叫んでいたようだが、
この在り様が真の勇者と言えるのだろうか。
近くにいた人が亡くなったのにも関わらず、
マスコミの報道も焦点がズレていないのか。
真のリーダーは、周りの人々をこそ気遣う。
マスコミの報道内容にも追悼の言葉はない。
自分の生死と共に他人の生死に思いを至す。
半ばは自己の幸せを・半ばは他人の幸せを。
これが真のリーダーの姿ではないだろうか。
自分だけが幸せになろうとしても不可能だ。
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2024年06月18日

気海丹田腰脚足心

どれほど賞賛されようと
どれほど見下されようと
どれほど成功に至ろうと
どれほど失敗に至ろうと
本来の面目は気海丹田に
本分の家郷は腰脚足心に
日頃の意識はそこに置く
妄想する頭とは別の場所
器鏡の力を宿すべき場所
谷底的次元への跳び込み
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2024年06月10日

瞑想における呼吸法と集中

呼吸法には色々なものがありますが、どれであれ自分のものとするには、やはり一定の修得期間を要するように思います。
人の心は移ろいやすく、自分でも気づかないうちにあちこちと動き回り、「今・ここ」から容易に飛び立ってしまいます。
したがって、呼吸法を取り入れて瞑想を行っている時は、この飛び立ち易い心を「今・ここ」に留めおく必要があります。
それには、私自身の経験から申し上げれば、瞑想を行うなら呼吸に集中できる呼吸法を用いることが望ましいと考えます。
吐く息を長く静かに行うだけではなく、私は吸う時も長く静かに行うのが、集中を継続する方法の一つであると考えます。
人によっては、呼吸は呼吸に任せるとおっしゃいますが、その方法が合っている方と合わない方がおられる様に観えます。
精神の統一安定がなければマインドフルネスは困難ですし、精神の統一安定は集中呼吸があって成就できる様に観えます。

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2024年06月02日

「今・ここ」

「今・ここ」、「今・ここ」というけれど
掴んだと思ったらもう掴めていない
思ったらいけないと思ったら「今・ここ」から離れている
「今・ここ」にあるということは
何ものにも囚われず「今・ここ」と共にあるということ
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2024年04月12日

やはりスワイショウはいい

もう随分と長い間スワイショウを行ってきました
気功の一種でいわゆる動的瞑想と言えるものです
単なる運動とは違って心の健康にも良いものです
自分で工夫して動作に深味を生むことができます
更には呼吸法を用いれば壮健にも有益なものです
目的を何かに特定した動きとは大きく異なります
時間が立てば朗らかな心になり囚われも消えます
この時間差を持つ効果の発現は不思議なものです
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2024年04月06日

変化の中にある

地球は公転し太陽系はとんでもない速度で変化している
これが世界の真実だという事を意識しておくべきだろう
極大が変化の中にあるという事実認識を遠ざけてしまう
かつて釈尊は生きている世界の実相を諸行無常と説いた
我々が関わる諸々の事柄への囚われは苦しみを近づける
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2024年02月09日

歩けばわかる

私の本質は気海丹田腰脚足心
私の本来は考える頭ではない
私は何に支えられているのか
私の何が働いて今があるのか
気海丹田腰脚足心は私の支え
歩けばわかる考えの身勝手さ
歩けばわかる無言の真支持力
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2023年08月01日

大谷選手を天風哲学からみる

大谷選手は全てに一生懸命です
手を抜くことが全くありません
天風哲学の積極一貫を実践しています
天風哲学から観るとそう感じられます
しかし大谷選手はリアリストでもあります
大谷選手は基本的には事上磨練の選手です
事々への直観は事上で身に着いたものです
事上で磨かれれば柔軟性が存在します
積極一丸と柔軟な融通性があるのです
積極融通の両刀が本質でしょう
それは真善美に基づくものです

大谷選手は負傷しても全てに積極一丸で、どの様な状態の時も決して手を抜かず休もうともしません。
天風哲学が説く宇宙霊、西田先生も一時説かれた宇宙の根源的統一力を信じているのかもしれません。
天風哲学では、健康でも運命でも、それをだんぜん乗り越えて行くところに生命の価値があるのです。
大谷選手が、言われているように本当に天風先生の書を読んでいるとしたら、この様に理解できます。


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2023年03月11日

堂々と!

WBCが盛り上がってきました。
その様な中で村上選手がさえません。
とは言え時は無常です。
いずれ君の時が来ます。
必ずや君の時が来ます。
常に堂々としていましょう。
日本の4番となったのは君の運命です。
その運命に誇りを持って堂々としていましょう。
何事を経験しようとも堂々としていれば良いのです。
対象に動じず堂々としている姿が素晴らしいのです。



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2023年03月06日

無常

梅の開花.JPG
一週間後の梅花です。間もなく散り行き、その後に実をつけてくれます。
私達も寿命に散り行き、どの様な実へと繋ぐことができるのでしょうか。

それぞれの幸せの為に力を尽くす。
あるがままの結果を唯受け入れる。
それぞれの半ばは自己のためです。
それぞれの半ばは他人のためです。
それぞれそれしかできないのです。
それぞれだからそれでいいのです。
人間だからそれが望ましいのです。
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2023年02月14日

二つのものの調和

仏性の種と共に土地も大切にしよう。
広さだけでなく深さも求めて行こう。
一だけでなく多にも目を向けて行こう。
高所と共に低所にも目を向けて行こう。
光だけでなく陰影にも目を向けて行こう。
自由と規律の両面から物事を見て行こう。
自我だけでなく無我にも目を向けて行こう。
近くだけでなく遠くにも焦点を合わせよう。
自分の幸せだけでなく他人の幸せをも願おう。
自利利他の心をいつも忘れないようにしよう。

少林寺拳法の創始者 宗道臣曰く
「半ばは自己の幸せを半ばは他人の幸せを」

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2023年02月06日

『特攻隊員の命の声が聞こえる』

これは、神坂次郎氏による「特別攻撃隊」に関する著書のタイトルです。
氏は、PHP研究所の真部栄一氏に出版を勧められるなかで、本を出す決意をした時の気持ちを、「あとがき」において次のように述べておられます。

「・・・(前略)、広大な時空の中を、一瞬のうちに過ぎていった亡き人々の命への念(おも)いを、私なりに語っておくのもよいではないか、そう思って、結局は出してもらうことにした。・・・(後略)。」

私がまだ二十代の頃、あるテレビ局の番組の中で、ベテラン高校教師が次のように語っておられました。
「日本の近代史を学生に教えるのは、平和という観点から望ましいことではない。だから、私は学生には近代史を教えないようにしている。」。言葉は正確ではありませんが、この様な内容でした。
その折、反論も出ない状況に私は唖然としましたが、その様な発言が、もっともらしく聞こえる学生運動が盛んな時代でした。現在も、大戦前の国家間のせめぎ合いや戦争の実態、植民地の実態等については、ほとんどの日本人が知らないというのが事実でしょう。
「平和平和と唱えれば平和が直ちにやってくる」と信じている日本人が、戦時中にかけがえのない命を散らした日本人に、思いを馳せることなどほとんど考えられません。その責任は、一老人である私自身にもあると捉えてはいますが、この私も目を覚まさせられたウクライナの行動は、「生きる意味」「戦争と平和」「幸福とは何か」を改めて鋭く深く問うてきます。
神坂氏は、忘れがたい歌として、次の歌を著書の中で紹介しています。

言うなかれ君よ
別れを世の常をまた生き死にを
海原はるけき果てに
熱き血を捧ぐる者の大いなる胸を叩けよ
満月を盃に砕きて暫しただ酔いて勢(きお)えよ
吾等往く沖縄の空
君もまたこれにつづけ
この夕べ相離れまた生死相へだつとも
いつの日かまた万朶(ばんだ)の桜を共に見ん
言うなかれ君よ
別れを世の常をまた生き死にを
空と水うつすところ
悠々として雲は行き
雲は行けるを
(神風特別攻撃隊第五筑波隊長 西田高光 昭和二十年五月十一日 沖縄戦特攻戦死)

自然との全き自己同一化とも言える歌です。
懊悩の末の諦観でしょうが、躊躇いを超越した清々しさがあります。
自分の苦しみが滅びることを知った曇りのない清々しさがあります。
四千数百人の若者の砕け散った絆と思いを心底に留めおくべきです。
こんなことを書くと、また戦争賛美とでも批判されるのでしょうか。
広大な時空の中、一瞬に生きた若者を心に留置くべきと思うのです。
生きた人々と彼らが居て、今の私たちがあるのではないでしょうか。









posted by jinsyou at 17:10| 福岡 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする