これは、神坂次郎氏による「特別攻撃隊」に関する著書のタイトルです。
氏は、PHP研究所の真部栄一氏に出版を勧められるなかで、本を出す決意をした時の気持ちを、「あとがき」において次のように述べておられます。
「・・・(前略)、広大な時空の中を、一瞬のうちに過ぎていった亡き人々の命への念(おも)いを、私なりに語っておくのもよいではないか、そう思って、結局は出してもらうことにした。・・・(後略)。」
私がまだ二十代の頃、あるテレビ局の番組の中で、ベテラン高校教師が次のように語っておられました。
「日本の近代史を学生に教えるのは、平和という観点から望ましいことではない。だから、私は学生には近代史を教えないようにしている。」。言葉は正確ではありませんが、この様な内容でした。
その折、反論も出ない状況に私は唖然としましたが、その様な発言が、もっともらしく聞こえる学生運動が盛んな時代でした。現在も、大戦前の国家間のせめぎ合いや戦争の実態、植民地の実態等については、ほとんどの日本人が知らないというのが事実でしょう。
「平和平和と唱えれば平和が直ちにやってくる」と信じている日本人が、戦時中にかけがえのない命を散らした日本人に、思いを馳せることなどほとんど考えられません。その責任は、一老人である私自身にもあると捉えてはいますが、この私も目を覚まさせられたウクライナの行動は、「生きる意味」「戦争と平和」「幸福とは何か」を改めて鋭く深く問うてきます。
神坂氏は、忘れがたい歌として、次の歌を著書の中で紹介しています。
言うなかれ君よ
別れを世の常をまた生き死にを
海原はるけき果てに
熱き血を捧ぐる者の大いなる胸を叩けよ
満月を盃に砕きて暫しただ酔いて勢(きお)えよ
吾等往く沖縄の空
君もまたこれにつづけ
この夕べ相離れまた生死相へだつとも
いつの日かまた万朶(ばんだ)の桜を共に見ん
言うなかれ君よ
別れを世の常をまた生き死にを
空と水うつすところ
悠々として雲は行き
雲は行けるを
(神風特別攻撃隊第五筑波隊長 西田高光 昭和二十年五月十一日 沖縄戦特攻戦死)
自然との全き自己同一化とも言える歌です。
懊悩の末の諦観でしょうが、躊躇いを超越した清々しさがあります。
自分の苦しみが滅びることを知った曇りのない清々しさがあります。
四千数百人の若者の砕け散った絆と思いを心底に留めおくべきです。
こんなことを書くと、また戦争賛美とでも批判されるのでしょうか。
広大な時空の中、一瞬に生きた若者を心に留置くべきと思うのです。
生きた人々と彼らが居て、今の私たちがあるのではないでしょうか。
posted by jinsyou at 17:10| 福岡 ☀|
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